オリンピック・マラソン

おじいちゃんはこう思う―

東京マラソンが札幌マラソンになりそうだ。

紀元前450年頃、侵入してきたペルシャ軍をマラトン海岸で打ち破ったペルシャ軍の1兵士が、そこからアテネまで約40㎞を走り続け、「勝ったぞ」と伝えて息絶えたのがオリンピック・マラソンの由来だそうだ。マラソンのレースを見て感動するのは、そこに限界に挑戦する人間の姿があるからだと思う。

第4回のロンドンオリンピックでは1位で競技場に入ってきた選手がゴール直前で倒れ、競技役員に助けられてゴールしたものの結局失格となり、「ドランドの悲劇」と言われたという。マラソンは体力の勝負でもあり、フラフラしながらゴールしたロスアンゼルス五輪の女子マラソン選手の姿は、今も目に浮かぶ。訓練した選手でも炎天下あるいは豪雨の中で自分には無理だとなればリタイアするしかない。そのように自己の限界に挑戦する姿が、我々に感動を与えるのだと思う。

先日、風よけのランナーに守られ人類で初めて2時間を切ったマラソンランナーの映像をテレビで見た。あれも一つの挑戦ではあるのだろうが、オリンピックに期待するものとは違う気がする。

十分に鍛えた肉体を持つアスリートが、それが炎天下であれ荒天下であれ、主催都市の環境下で自分の限界に挑戦する。ラグビーでも鍛錬した肉体で相手に全力でぶつかり、傷んだ仲間を退場させても新たな仲間を加えて再び全力でぶつかる。それらに感動するのはーおじいちゃんにはもう無理だがー死の危険に立ち向かって家族を守り、数万年も生命を繋いできたホモサピエンスの原点を、そこに感じるからかもしれないと思う。

主催都市での競技を目指して鍛錬してきた選手に対し、主催都市が環境面でもその時点で対処できる最大限の配慮をする、それがオリンピックにおけるアスリートファーストではないのかなあ・・・」

―どう思うー